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うつら・うつら

休日ニートの通勤ブログ

「聲の形」は仲直りベタしかいない

妻の希望で
「君の名は」ではなく
「聲の形」を観てきた。

原作の絵を上手いこと京アニ風にまとめいて
穏やかな感じの表現は流石って感じでしたね

そのせいあってか病んでる主人公の悲壮感が和らぎ
見やすい映画になっていた


このアニメ、原作者が「登場人物は全員嫌い」と名言してるだけあって
みんな欠損を抱えてるのに、人生の先導者というか
救いの一言をくれる人ってのが居らず、辛い作品となっている

親や先生を含めて出てくる大人もまた独りよがりなのだ
だから観ていると色々ともやもやしてくる
なるほど話題性は高いなっと納得する

もうみんな酷い
全部自分が悪いと開き直る奴
全責任を他人に押しつける奴
敵対するなら見捨てる奴
自分だけは無関係ぶる奴

それなのに、どうにか友達になろうとする
(植野はヒロインと恋のライバル的な部分もある感じもしたが・・・)

10代前半の頃には「嫌いたければ嫌え、俺はお前に好かれたくて生きてる訳じゃねーよ」と
強く思っていた僕にとって「友達」に固執する彼らは今一感情移入しにくかったが
なんとか仲良くなりたいと模索する若者達ってテーマは、人としては正しいのかもしれない


現実のイジメで自殺した事件って
被害者に比べ加害者にはあまりダメージがない
イジメた奴がどうなろうが、そんな事は気にせず生きていける
なにせイジメってのは1対多数だから
主人公のクラスメイトと同じで、無関係ぶれる
「確かに横で笑ってはいたけど、自分は何もしてない」と思えるのだ

イジメは皆で特定の誰かをイジメようと会議して採択した訳じゃない
「あいつうざいな」とか「約束破った許せない」
と誰かが嫌った事に、一人二人と賛成する奴が増え同調することで
嫌う事そのものが目的となりイジメは発生するのだ

だからイジメを無くすのに「仲良くしましょう」ではムリだ
イジメた奴を吊るし上げてもダメだ
やり過ぎてしまった時の仲直りの仕方と
どうしても好きになれない相手の嫌い方を教えてあげなければいけないと思う



「子どもの時から友達は多いほうがいいと学校で教える風潮がありますが
  本当にそれでいいのですかね。
  友達が多い=人間の魅力があるみたいに評価されているじゃないですか。
  だから仲間はずれにされることを極端に怖がり、仲間はずれが有効ないじめとして成立してしまう。
  私は友達が大勢いることがいいとは思いません。」

  蛭子能収